SOPvol.80           新発田藩主溝口氏は清和天皇の子孫


▲記録的少雨の新発田・内の倉ダム(8月23日)

今号第1面では、戊辰戦争150年目ということもあり、新発田藩溝口家の歴史について調べた結果を記事にしました。

従来、溝口氏は三河国溝口村の出で、遠く逸見家の系譜であることは、新発田市誌にも記載がありましたが、それ以前のことは不明でした。冨澤信明氏は家系図を丹念に調査し、その結果溝口氏は甲斐武田家の祖、武田信義の兄・逸見光長を祖に持つことが判明しました。途中、5~6代が不明ですが、これが明らかになると、溝口家の家系図が一本につながります。

武田家の祖は源頼義に遡ります。長らく五階菱が何に由来するのか不明でしたが、源頼義の家紋が菱型を三つ重ねたもの、溝口秀勝の考案した家紋が菱型を五つ重ねたものであることは偶然ではありません。ちなみに武田家の家紋は菱型を四つ固めたものです。

源氏・源頼朝は初代越後国守護を佐々木盛綱に命じ、その後400年佐々木家の末裔が新発田を統治し、一時的に上杉家が統治したものの、上杉家転封後は再び新発田は源氏の血を引く溝口家の統治下となったのです。

第2面・3面では、先進事例として、大阪府大東市の「元気でまっせ体操」事業を紹介しました。住民の健康寿命を伸ばすための取り組みですが、結果として介護保険給付の大幅減額、介護施設の人手不足対策と所得の向上、地域コミュニティの活性化に結び付けました。住民主体の取り組みであるため、定着には長い年月が必要ですが、健康寿命を伸ばすことや介護環境の改善を目指すことは喫緊の課題です。

第4面は、観測史上初となる新発田の少雨渇水・高温に対して、市当局が迅速に行った対応策を紹介しました。全庁的な取り組みにより、上水道断水や熱中症死という最悪の結果を避けることが出来ました。今後とも、恒常的な少雨渇水・高温が予想されることから、土地改良区に協力しての農業用水の確保や学校へのエアコン設置などの対策が求められるところです。

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